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名言6「長いこと監督をやってきたけど、あいつがNo.1だよ」by野村克也(伊藤智仁について)

オーナーズリーグマスターズ【OLM02 018】SM 伊藤智仁《ヤクルトスワローズ》STAR MASTER

何故、今日の一言が伊藤智仁なのか。
それは今日行った恵比寿の中華料理屋のウェイターが、私が部屋にポスターを貼っていたほど敬愛している伊藤智仁にクリソツだったからです。

皆さんは伊藤智仁という野球選手をご存知でしょうか?

我々、90年代に野球を見ていた人にとっては伝説の選手なんですが、イチロー松井秀喜のように、誰でも知っている選手ではないので、最近の野球ファンの人はあまり知らなくても仕方ないかもしれません。

何せ、この伊藤智仁選手が後に伝説となるほどの素晴らしい投球を見せたのはわずか3ヶ月に満たないのです。


【これは打てない】全盛期の伊藤智仁のスライダー - YouTube

1993年ドラフト1位でヤクルトに入り、150kmを超えるストレートと、直角に曲がるといわれた日本野球史上最高の高速スライダーを武器に、プロ一年目から並み居る強打者をキリキリ舞いにさせました。その快刀乱麻の投球に野村監督もぞっこん。信用できるピッチャーが伊藤しかいないかのごとく、投げさせまくるのです。上の映像を見ていただければ分かるとおり、もうマンガみたいな魔球ぶりなのです。ノムさんが楽しくなっちゃうのも分かる気がします。

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しかし、伊藤智仁には弱点があったのです。もともと、伊藤智仁のピッチングの特徴はその圧倒的な肩関節の柔らかさによる球持ちの良さと、腕のしなりにあります。しかし、この特徴は諸刃の剣だったのです。剛速球とスライダーを駆使することで、肘に異常なほど負担がかかりやすいのです。

そして、その弱点は早々に露見します。開幕から投球回を上回るペースで三振を奪い、防御率0.91という素晴らしい成績を残していましたが、7月中旬、投球過多がたたりヒジ痛を発症。一軍を離脱します。そして、それ以降、戻ってくることはありませんでした。さらに、往時のピッチングが戻ってくることも、二度となかったのです。

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しかし短期間とはいえ、その印象度は抜群。その年の同期入団には後に国民栄誉賞を受賞する松井秀喜も居ましたが、新人王レースは3ヶ月しか実働していない伊藤智仁の圧勝。ルーキーイヤーの驚異的なピッチングは人々の記憶に刻み込まれたのです。

花火のように一瞬の輝きを放ち、そして散った伊藤智仁選手は「ガラスのエース」「悲運のエース」などと呼ばれています。そうなってしまった一因は野村監督の酷使にあると言われています。

その野村監督が後年、伊藤智仁に対して言った言葉です。

 

「長いこと監督をやってきたけど、あいつがNo.1だよ」

 

圧倒的な投手だったから投げさせ過ぎてしまった。そのことに野村監督も責任を感じているようで、監督退任後に「積極的に登板させた事によって彼の選手生命を縮めてしまった。申し訳なく思っている。」とコメントしています。

しかし、確かに投げすぎではあったかもしれませんが、人々の記憶に残る投球をしたことは間違いないのです。

とある一投手では終わらなかった。そして、現役を退いた今でもただの元プロ野球選手ではない。一瞬でも人々の記憶に残る投球が出来たという意味では、幸せなピッチャーだなと思うのです。

1993年当時は、今ほどスライダーという変化球が一般的ではなく、減速が少ないカーブやカットボールに近い切っただけのボールなどと、プロの解説者でも区別がついておらず、なんとなくカッコイイからという理由でスライダーと言ってみている選手がほとんどでしたが、その中でも伊藤智仁選手は数少ない本物のスライダーを投げるピッチャーでした。

その後、怪物・松坂大輔、消えるスライダー・新垣渚、涙のエース・斉藤和己、無敗男・田中将大やメジャーリーガー・ダルビッシュ有など、スライダーの名手は多々現れましたが、私は今でも彼がNO.1だと思っています。

マウンドに散った天才投手

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