何故、成熟企業はKPIをこねくり回して小銭を追い回してしまうのか?
島国大和さんが僕の言いたかったことを全て言ってくれました。そこにしびれてあこがれます。
KPIこねくり回して、数時いじって売上を上げているだけでは、市場はシュリンクする。
エンターテイメントは飽きられたら終わりだ。新しいことを模索しなければいけない。
無茶な博打を誰かが打たねばならない。
それには、無茶な博打に掛け金ぶっこむ人が必要だ。才能だって、金ぶっこまなけりゃ枯れて尽きる。
スナイパーだって弾は外す。
そういうもんだ。
個人的にそのハードやその思想の好き嫌いはさておき、博打を打つのは本当に重要だと思うし、ありがたい。
頑張ってほしい。
KPIこねくり回して小銭を追い回す任天堂なんかは見たくない。
ヒット商品頼みの成熟企業は売上げやPVを追ってはいけない
まあ、追ってはいけないと言うか、それだけではいけないと言うことです。
ビジネスにおいて、ヒット商品を持っている会社のアドバンテージは計り知れません。何せ、いつでも一定の数字が計算できる商品を持っているわけですから、一種のワイルドカードを持っているようなもんです。しかし、強力なヒット商品を持ち、会社として収益源が確立し成熟期を迎えたような企業が、売上げなどの数字ばかりを追いかけるのは大変危険です。
成熟期を迎えた企業が、足元の売上げなどの数字を追いかけ続けると、当然売上げを上げるなら自社のヒット商品を売り出せば、ほぼノーリスクで売上げが見込めるわけですから、既存商品のネームバリューやブランド力に頼っちゃうのが一番安全で効果が高いわけです。
すると、努力のベクトルが、「ノーリスクで確実に数字を改善していくことが出来る手近なモノ」に向かいます。例えば、ゲーム開発なら人気タイトルの焼き直しや広告やマーケティングとかの「売り方の改善や広告費の投下方法」にばかり向かうようになるのです。決して、それが悪いわけではないのですが、結果を出そうとするとそればかりになってしまうところが大問題です。特に売り方や広告への過度な傾倒が由々しき事態を生みます。
売り方を工夫したり、広告の仕方を変えれば、その結果は数字としてすぐに返ってきます。改善した箇所は少しづつでも良くなるでしょうし、数字に動きがある以上報告にも事欠きません。また、良くなっている以上は怒られませんし、何より「やってる感」が出るのです。このやってる感が厄介なんです。本人は「こんなに頑張ってます!」と胸を張るわけですね。
で、それを会社も株主も評価しちゃったりします。確かに良くなっているんですから評価せざるを得ません。
すると、わざわざホームランか空振りかというリスクの高い博打を仕掛けるメリットはもはや無いと、それよりは結果が出やすく、リスクも低くて、何より「やってる感」が演出しやすい案件を進めればいいという考え方になるんですね。
こうして、現場にも経営にも、失敗するかもしれない勝負はしないという雰囲気が醸成されるのです。
エクセル眺めて仕事した気になってんじゃねえ!
こうして結果が出やすくリスクの低いものだけをやり続け、それを「カイゼン」だなんだと持て囃し「増えた減った」と一喜一憂していると、コストもかかるし結果もどうなるか分からないが、次世代を担う可能性のある「画期的な商品の開発」や「新たなイノベーションの開拓」といったチャレンジが置き去りになってしまいます。
しかし、本来その一喜一憂している売上げは、過去の決死のチャレンジによって生み出された「商品の価値」によるもののはずです。
売り方の工夫や広告などの手近な案件にばかり腐心していますが、売り方がうまければゴミでも売れるのではなくて、良い商品を上手に売るから大ヒットが生まれるわけですよ。
リスクの無いちょっとした数字のマジックによる、足元の刹那的なグラフの上下に心を奪われているその裏で、お客様により良い商品を提供する努力が疎かになれば「商品の競争力低下」は徐々に、しかし確実に進行します。また、「技術革新の波」も急速に迫ってくるのです。
何やら良く分からないご機嫌取りの数値分析では新たな価値を市場に提供することはできないのです。
そして、気づいたときには市場はレッドオーシャン。競合各社は巨大艦隊に成長し、もはや太刀打ちできない状況に追い込まれるわけです。
はい、めでたく「ゆでガエル」の完成ですね。
昨日のケーキが今日の生ゴミに
結局、人間は、数字の増減が好きですし、見えないものや計算できないものは怖いんです。
しかし、計算できる仕事にばかりに腐心して、チャレンジ精神を失ってしまえば、これだけ競争が激しくお客様の興味も瞬時に移り変わる世の中ですから、「昨日のケーキが今日の生ゴミ」っていうこともありえるんです。
任天堂の失敗はまさにここにあります。自身のコンテンツの焼き直しと、マーケティングに傾倒し、自社の商品が飽きられてきていることに気づけず、心を掴む新商品の投入が後手後手になっていたら、いつの間にかオワコンになっていた。と言うことです。
任天堂が誇る、マリオやゼルダ、ポケモンなどのコンテンツ力は当然認めますが、毎度毎度変わり映えも無くリメイクや焼き直しの一辺倒では、当然飽きがくるんです。
テレビCMでWiiUや3DSを夢中でプレイする女優やアイドルの様子を流したり、もはや円熟の域に達した企業ブランディングで一定の売上げは確保できるんでしょうが、飽きてしまったお客様が一人また一人と脱落すれば、コンテンツ力は時間の経過とともに毀損していくのです。
そして、いざ毀損した価値を補うための新サービスを生み出す際、必要なはずのチャレンジ精神は、つまらない仕事をしているうちに無くなってしまっているのですから、言ってみりゃあ「詰み」ですね。
エクセルを見ている時間は世の中に新しい価値を生み出していない
これは何もゲーム業界に限った話ではありません。あらゆる業界に共通する話だと思います。
私のいる会社も今まさにそんな状況が散見しているんです。以前に「名言5「エクセルの数字を眺めてると仕事した気になる。」という記事を書いたこともありますが、エクセルで数字を眺めているだけで仕事をした気になっているヤツがいっぱいいるんですよ。そして、上の層の人ほどそういう人が多いものです。
もちろん、売上げを管理し、上げていくことは大変重要ですが、売上管理表のエクセルを眺めて「やれ上がった、下がった」と一喜一憂するのは全く意味がありません。
本来見るべきなのはそこではなく、売上げを上げるために達成すべき指標は何で、そしてその達成度は今どの程度で、目標に対する貢献度は想定どおりなのかとか、そういうのを見るべきなんですよ。それが本来の意味でのKPI(業績重要業績評価指標)であり、KGI(重要目標達成指標)なんですよね。
何も生み出さずに数字を見ながら、何やら必要か不必要か分からない分析をして仕事をした気になる人があまりにも多い。これは特に頭が良くて分析力がある人が陥りがちな罠ですね。
考えるべきなのは、エクセルを見ているその時間は世の中に新しい価値を生み出していないということです。
成熟企業がKPIをコネコネして小銭を追いかけてしまうのは、経営陣も含めた数字遊び体質と危機感の問題だと思われます。目先の売上げを追いかけ、数字の動きに一喜一憂することで、自らの仕事のスケールを小さくし、そのことが内包する致命的な危機に気づけなかったという意味で、KPIを設定した経営の責任は重いのです。
ここは一つ、既存のブランド力や商品力を新たな指標としてKPIとするしかないのではないでしょうか。その瞬間にも徐々に失われゆく商品競争力を可視化すれば、否が応にも危機感が煽られるのではないかと。
- 作者: 週刊東洋経済編集部,二階堂遼馬,中島順一郎,筑紫祐二,山田俊浩,杉山未記,茨木裕,小林由衣
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
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