増えすぎたキュレーションメディアは検索結果を汚す悪魔と化した
昨年頃からスタートアップのキュレーションメディアがブームです。
厳密に言えば、もう少し前から最初の波はあったんですが、本格的に火がついたのはその頃じゃないかと。
それ以来、有象無象のキュレーションメディアが立ち上がりました。
キュレーションメディアは横のPVの奪い合いこそあれ、基本的には検索流入によるPVがほとんどなわけですから、検索されそうな文字列をちりばめた記事をいかに増やすかっていうのがポイントなわけです。言ってみればテクニックもへったくれもないSEO対決です。
それぞれのサイトは飛躍的に記事を増やすためにキュレーターと呼ばれるWEBライター?のような人をそれぞれ囲い込んだり、投稿IFをオープンにしたり、まとめてくれた人に報酬を支払ったりして記事数を競っています。中にはクラウドソーシングを利用して記事を増やしている企業もあると聞きます。
昨今の「スタートアップブーム」において、様々なサービスが生まれては消える中、キュレーションっていうのは、起業アイデアとしては一番楽なんですよね。
正味な話、トラフィックをしっかり捌けるサーバーと少々のWEBデザイン力、そして最初の二ヶ月に集中投下できる資本さえあれば誰でもそこそこのサイトは作れます。あとは、他とちょっとだけ棲み分けるポジショニングをすればいい。
ただ、PVはそれで集まり、一定の収入も確保できるかもしれませんが、何かサイトや事業そのものに価値を生むことができるかというとそれはまた別の話なわけです。
先に私の立場をはっきりさせておくと、キュレーションに否定的なわけではありません。
検索という情報アクセス手法をより効率的にするコンテンツになっていれば一定の存在価値はあると思います。
しかし、それが事業として価値のあることかといえば、少し疑問という立場です。
一番引っかかっているのは、現在の粗製乱造状態が本当に良いのかということです。
キュレーションサイトは1日に多いサイトで数十記事を投下しますが、本当にそのサイトにまた来たいと思わせるだけの質の高い情報がどれだけあるでしょうか?
その多くは、検索を意識したタイトルとテキストで、実際の中身はほとんど引用に次ぐ引用と、キュレーターを名乗るライター?の主観的な感想で占められているというのが私の感想です。つまり、自ら何かの価値を生み出すのではなく、誰かが一生懸命生み出した何かの一節を拝借し、感想を述べているにすぎない記事が多いのではないかと。
数とSEOで勝負できるという市場の特性から、手っ取り早く儲けるなら誰かの何かを拝借し、質より量を投下するのが勝ちパターンな訳です。
そうなると、そもそも本来の存在価値は「ネットの水先案内人」として、「まとめることで検索以上の価値を生む」というところだったはずなのに、今やこの果てしない引用と粗製乱造によるPV集めの過程を経て、逆に検索結果を汚しているんではないかと。
そんなPV集めみたいな事業に億単位の金を出すベンチャーキャピタルの気が知れないなと思うわけですが、ある意味PV=金ならば、彼らからすれば仕入れて売るというベルトコンベア的な「機関」みたいな感覚なんですかね。
検索エンジン側も引用サイトはランクを下げるなどの対策をしているようですが、もっと抜本的に膨大な数だけを投下するキュレーションメディアは検索結果に出さないとかそのくらいのことはしてもいいんじゃないでしょうかね。
だって、検索以上の価値を出すのがキュレーションメディアなんだから、検索に頼るのはおかしいでしょ?
そんなこんな。
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定額制音楽配信サービスは目指す方向を間違っている
事業者だけが盛り上がり中の定額音楽配信事業
サイバーエージェントとエイベックスが5月27日にスタートした「AWA」。
日本での開始は未確定ながらも6月30日に世界150カ国で開始する「Apple Music」。
そして、先日発表された、LINEとソニーミュージックの「LINE MUSIC」と、国内外で定額制音楽配信サービスがにわかに盛り上がりつつあるようです。
まあ、盛り上がりつつあるといっても、今のところは単に事業者側が盛り上がっているに過ぎず、ユーザー側は全く盛り上がっていません。
一見すると、崖っぷちの音楽業界が流行のIT企業に助け舟を求めているようにも見えますね。
こういう月定額のコンテンツ配信の形態を、サブスクリプション型というそうですが、言葉などはこの際どうでも良く、最大のポイントは定額制音楽配信を世の中のどの機能と置換させるのかがポイントだと思っています。
考えれば、技術革新は音楽業界の様々な価値を置き換えました。
iTunesはCDレコードショップの価値を置換し、着うたなどの音楽のデータ化はCDやMD等の媒体の価値を置換しました。
じゃあ、定額制音楽配信サービスは何を置換するのか?ということです。
その点、各社とも目指している方向は、CDレコードショップの置換、CDやMD等の媒体の置換という、すでに置き換えられた価値との置換に目が向いているように思います。
しかし、敢えて断言すると、その方向性は間違っている。
今の音楽業界に必要なのはタッチポイントの再生
私は、サブスクリプション型音楽配信サービスが提供するべき価値は、
「音楽とのタッチポイントの再生」
だと思うんですね。要するに、テレビやラジオ、喫茶店のBGM、レコードショップのポップなどの音楽との出会いの機会を置換するということです。
iTunesをはじめとする、音楽のデータ化は、新しいコンテンツ流通を創出したのと同時に、音楽の「バラ売り化」を引き起こしました。
CMタイアップなどでサビだけ流れた曲を、その一曲だけ購入するという視聴です。それ以外の楽曲は全く売れません。
この選んで聴くという視聴習慣のなかで、偶発的な出会いの可能性は極端に減りました。
それにより、特定のメディアに載れない楽曲や、有名アーティストでもカップリング曲などはほとんど知られること無く、再生されること無く消えていく運命になるのです。
すると、今まで以上に一発屋的なミュージシャンは増えますし、ミュージシャン自身も短命化します。
昨今ではライブ回帰なんて言われていますが、実際にライブに足を運ぶと、ヒットした曲のサビの部分だけが盛り上がり、他の楽曲は客がただ手拍子のみなんていうパターンも珍しくはありません。
だから、最近では対バン形式のライブや数組のコラボライブなどが流行っています。あれは、ド派手なコラボをぶちかましたのではなく、単品ウリをするだけの実力が無いバンドが数曲の小ヒット曲だけでライブを実行するための苦肉の策です。
曲も売れない。売れても1DL数十円。ライブをする実力も無いとなれば、音楽業界は縮小せざるを得ないというものです。
音楽業界の再生のためには、未知の音と出会う機会、音楽とのタッチポイントの再生が絶対に必要です。
定額制音楽配信サービスは80年代のラジオを目指せ
そういう意味で、定額制音楽配信サービスは、80年代のラジオやディスコ、HMVのポップを目指すべきだと思うんです。
かつて、ラジオは新しいヒットの種や見所のある新人を、DJやスタッフが自らの目と耳で見つけ出し、視聴者に発信する流行の起点になっていました。漫然と楽曲を流し続けるのではなく、良いものを見極める目で選び、編集し、電波に乗せて新しい波を作り出す。そういう機能を担っていました。
また、ディスコではDJたちが様々なレコードを自ら聞き、選び、フロアで流しました。そこでは、その楽曲の発見や選曲の妙こそが個性となり、カリスマDJなども登場し、様々な流行がディスコから生まれました。
ラジオやディスコが流行の発信基地でありえたのは、そこに人の個性が介在していたからです。
人が発見し、人が選び、人が伝える。
良いと思ったものを、良いと思った理由とともに発信するから、さらに人づてに伝わって、ヒットが生まれたんです。
データ配信やストリーミングのように、聴いたことのある曲だけ選んで聴くという視聴習慣においては奇跡の出会いや新たなヒットは発生しません。iTunesが、自分の視聴歴の分析結果から機械的に選曲してくるオススメの楽曲に、今までに無い新しい感性や個性の介在する余地は無いのです。
音楽とどこで出会うのかということ。
そして、ただ機械的に出会いを演出されるのではなく、誰がどうしてオススメするのかという人の耳に基づいたレコメンドが求められているということです。
そういう意味で、ただ「安く気軽に聞ける」というだけの定額制音楽配信サービスには存在価値は無いと思うのです。
「若者には音楽が高くて買えないんじゃないか」「定額なら気にせず色んな曲を聴くんじゃないか」という安直なマーケティングなら、正直ガッカリだと。
そんなこんな。
野球界の「大谷にぶつけてはいけない」という無言の圧力はどうにかならんのか?
北海道日本ハムの大谷翔平選手が投手として素晴らしすぎる活躍をしています。
高卒入団三年目にして、この球界のエース級の働きは松坂大輔やダルビッシュ、田中将大、涌井秀章などを思い出させ、すでに貫禄すら漂っています。
一方、打者としての成績は今年は振るっていませんね。
クリーンナップに座ることも多いものの、打率.200と起用に応えているとは言いがたい状況です。
ただ、数字自体は悪いものの、本塁打は3本打っており、コンディショニングの難しさもあるため、普通の選手ならもう少し我慢できる数字かと思います。
しかし、大谷選手の場合は、この数字は「悪い」といわざるを得ません。
それは、「大谷選手が球界全体に守られている存在だから」です。
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強打者の宿命「内角攻め」
通常、強打者は内角を厳しく攻められるものです。
例えば、通算ホームラン525本の清原和博は、通算死球数でも196とダントツのトップを記録しており、死球だけでプラス1.5年分の安打数とイコールになってしまうほどの数字を残しています。
また、球界至宝であり世界の安打製造機イチローは、210安打を放った翌年、18死球という驚異的な当てられ方で、もはや「死球攻め」と言われるほど厳しい内角攻めを受けています(清原でも最高は16死球)。これには当時コミッショナーも全球団に声明を発表したほどだとか。
当然、本人の回避スキルの高さにも関連しますが、基本的にクリーンナップに座る強打者は内角を厳しく攻められるものなのです。
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大谷はまだプロの内角攻めを受けていない
その点、大谷選手はどうかといえば、昨年度は10本のホームランを打ち、クリーンナップの一角を担ったにもかかわらず、一年間で死球は0でした。
単純比較は出来ませんが、大谷選手より打数の少ない杉谷選手が、昨年は4死球を受けています。
さらに言うと、プロ入り以来、500打席近く立っていながら、死球は2013年に田中将大が与えた1つのみ。それも、指に引っかかったストレートだと思って普通に避けたら、実はカットボールで思ったよりも曲がったという類のもので、内角攻めの結果ではありません。
つまり、大谷選手は「プロの内角攻め」を受けていないんです。
もちろん、大谷選手は内角も払い打てますし、手足が長くベースから離れて構えられると言う点もあるので、不用意な内角攻めは出来ないという側面もあります。しかし、それにしても厳しいコースへのボールが少ないのは間違いないのです。
これには、先日、同級生の藤浪投手が黒田投手にぶつけたことで話題にもなった「投手には内角攻めをしない」という不文律の影響や、人気者であり、球界の至宝である大谷選手に当ててはいけないという「無言の圧力」があることを疑わずにいられません。
いわば、打者大谷は「気を使われている」のです。
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つ 大人の気づかい&マナーサクッとノート
二刀流であり続ける以上、気を使われ続ける
そんな、「気を使われている選手」だからこそ、打率.200という数字は全くの不足だと思えます。
徹底的に研究され、弱点を突かれ、潰しに来られた上での.200ではなく、あくまで投手メインの選手として扱われ、怪我をしないように気を使われた上での.200なのです。
大谷君はその資質の高さから、高卒から活躍した松井秀喜氏や清原和博氏と成績を比べられますが、投手との二刀流を続けている限り、打者専業で強打者ならではの厳しい攻めを受けてきた二人とは、比べることは出来ません。
確かに素質はありますが、二刀流では打者として本当のトッププレイヤーになることは出来ないでしょう。また、数字的にそれなりの成績を出せたとしても、「気を使われた上での成績」として、永遠に本当の一流たちと比肩することは出来ないと思われます。
本気の勝負の世界で認められる選手になるために、大谷君が打者を捨てる日は近いのではないかと。
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