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2030年を生きる子供たちに英語は必要か?

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子供に英語って必要あるの?

少子化が進む日本において、一人っ子がますます増えている。
一人っ子化が進むことで、家計の中から一人の子供に投下できるお金が増え、習い事や教育にかけるお金も増えている傾向にあるらしい。

そんな、近年の子供の習い事で人気なものといえば「英語教育」である。

中には日本語もまだ満足に話せない幼児のうちから英語教室に通わせて、母国語以上に英語能力を養成しようという親御さんもいるようだ。
確かに、国際化社会で活躍できるように言語を学ばせたいという気持ちは理解できなくはない。

しかし、実は私は英語教育に熱を上げることに対して懐疑的だ。

特に、ビジネスシーンにおける英語の必要性というのが、今後どんどん無くなっていくんじゃないかと思っている。


「言語の壁」はテクノロジーによって消えていく

言語の壁を越えて活躍できる人材を作ろう!という考え方は、「言語は壁である」「言語は学ばなければ得られない能力である」ということが前提だと思うが、私は、その前提は2030年代においてはテクノロジーで容易に崩れ去ると考えている。

例えば、Googleなどが研究を重ねている音声の同時翻訳機能が充実すれば、音を聞くのとほぼ同時に母国語に翻訳され、意味を理解することが可能になるだろうし、デバイスも補聴器型のものから、2030年頃にはもはや着けていることが分からないような、体内埋め込み型や脳波直結型のものなんかも登場している可能性は十分にあると思う。

技術によって価値が変革したとき、もはや世界には「言語の壁」は無くなるのではないだろうか。

となると、将来を見越して「英語がしゃべれる」という能力をいくら伸ばしても、そのアドバンテージはテクノロジーによってもはや無いものになっている可能性が高い。

つまり、幼児期の英語教育は、同級生に比べてちょっと英語かじってます程度の、「受験対策レベル」の効用しかもたらさないのではないかと思うのだ。

言語の壁がテクノロジーで無くなっていく潮流は最早避けられないので、今、通訳や翻訳などの言葉の仕事をしている方も、いずれ何らかのウェアラブル端末や埋め込みチップなどのIOTテクノロジーに仕事を奪われる事態を想定しておいたほうが懸命である。


必要なのは、表現力や思考力など人間ならではの能力

では、何が習い事として必要なのか?
今、私が答えを持ち合わせているわけではないが、1つ確実に言える事は今後機械に置き換えられることの無い能力を養成することが生命力の強い子供を育てる上で重要だということだ。

単純な言葉や計算などの能力はいずれ完全にシステムに置換される。
大事なのは、システムやツールを適切に組み合わせて「使う能力」であり、他人と議論し、自分の意思を「伝える能力」である。
つまり、より人間らしい能力、人間ならではの能力が求められるようになると思われる。

実際に三菱UFJ銀行では、先日、9500人分の仕事をシステム化によって削減すると発表している。この潮流は避けようのないものだ。

三菱UFJ、9500人分の仕事自動化 国内従業員の3割 :日本経済新聞

かの哲学者パスカルは「人間は考える葦である」と言った。
その言葉の通り、今後人間は「考える能力」が高い次元で求められるようになる。
その時に、独創的な発想を適切な言葉で表現し、実際に実現させていく能力が2030年代の子供たちに必要なのではないか。


今、最も養成すべき「ハマる力」

世の中の物事はどんどん細分化され、各分野の深度もどんどん深くなっている。
好きこそ物の上手なれと言うが、社会においても好きで物事をどんどん突き詰めていく姿勢が何においても必要とされる。

子供の教育に必要なのは、幼児、児童の期間にできるだけ様々なものに触れさせ、経験させ、自分の「好きなもの」を見つけさせてあげること。子供が見つけた「好きなもの」を親が後押ししてあげることだと思う。

親が決めた教育方針より、まずは全方位的な経験。
そして、何かスペシャルを見つけたらトコトンやらせてあげること。

何かに「ハマる力」が多様化する時代において、特別なスキルになるんじゃないかと思っている。

 

東大教養学部「考える力」の教室

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こうやって、考える。

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