スイス時計メーカーのスマートウォッチが完全にクソ
週間アスキーPLUSで、バーゼルワールドで発表されたスイス製時計メーカーのスマートウォッチが絶賛されてましたが、おい、ちょっと待てと。
そのブランド感とか時計屋的デザインとか抜きにして、冷静に考えて欲しい。
いやいや、クソだろ。
どれもこれも歩数計やら活動量計やら睡眠時間計測やらそんなんばっかですわ
一日の活動量が分かったら何だというの?
そんなの知りたい?
万歩計付けろって。
一番大事なのはスマートウォッチは何を果たすべきなのか
スマートウォッチの覇権争いで一番重要なのは、腕の上で何をさせるかです。次にくるのがそれに最適なインターフェイスですよ。
まず、何をさせるかという観点では、「カラダに密着してるし、脈も取れるからバイタルセンサーよね」って言うのは、完全に発想が貧困です。
そういういるのかいらないのか分からないけど「すぐにできるであろうこと」よりも、もっと重要なのは何を出来るようにしたいか。今までのどの価値観を壊したいのかっていう、いわゆる「WILL」が何なのかです。
その意味で、絶賛されている「スイス製時計メーカーのスマートウォッチ」はクソです。
貧困な発想力で、今できることを考えて実装しただけ。腕の上で何をさせるのか、何を実現させるべきなのかっていう発想が欠如している。
デザインは良いかもしれないですが、それは時計としてのデザインがいいのであって、スマートウォッチのデザインとして良い訳じゃない。
良いデザインの時計が欲しけりゃ普通に機械式を買えよ。
その方が絶対満足度高いよ。
スマートウォッチは時計から最も離れるべき
で、デザインはそのWILLを実現する手法に最短距離であるべきです。
パテックフィリップのカラトラバが何故色あせないか。
時間を知るというWILLに対して、これ以上にありえないほどの最適解を示しているからですよ。
スマートウォッチにも最適解が必要です。
スマートウォッチは「丸くて針が3つあって竜頭がついてて・・・」という時計の先入観から極端に離れたところから発想すべきなんです。
スマートウォッチとして実現すべき目的を定めて、それに対して最短距離のデザインを一体誰が最初に示すのか。それを確立すれば、一気に業界のデファクトスタンダードが取れる可能性が高いわけです。
オメガが明日のAppleになっている可能性もある。
その点、この記事の中ではグッチの時計が一番マシですかね。
一番、挑戦的なコンセプトで商品設計をしている気がします。
バイタルデータを知りたいなら万歩計か脈拍計をつけろ。
時間を知りたいなら時計つけるかスマホ見ろ。
スマートウォッチが果たすべきもの、最大の提供価値って何なの?
そう考えたときに、私にとってはスイス時計メーカーのプロダクトは落胆至極。
流行りモノに乗っかったレベルの軽薄なデバイスでしかないという印象です。
サラリーマンだけど個人事業をはじてみた
働きたくないとか何とか言いながらも、戯れに事業を始めちゃいました。
最近、サードウェーブコーヒーがブームとか言ってるよね!
ということで、試しにこんな事業を立ち上げてみました。
いわば、ロースター(お店)横断型コーヒーセレクトショップです。
お金をかけず、何よりもまずやってみる。
サードウェーブコーヒーブーム=ロースターが主役の時代に
ブルーボトルコーヒーの日本進出を期に、日本でも「サードウェーブコーヒー」ブームが巻き起こっています。
この「サードウェーブコーヒー」ブームって言うのは要するに、
今までは、何となく大手企業の豆や何となく産地とかチェーン店で選んでいたコーヒーは、「お店の個性」で選ぶようになったということ。一つの料理を楽しむように、お店ごとの焙煎を楽しみましょうというムーブメントです。
コーヒーの世界ではお店のことを「ロースター」と呼びます。その名の通り、焙煎する人ということですね。
豆の種類も千差万別ですが、その何万もの豆から取り扱う豆を選び出し、最適に焙煎するのはお店の仕事。
そのお店の仕事次第で、豆の味がいかようにでも変化します。
その個性への敬意なんかも「ロースター」という言葉には含まれていると思うんですね。
そのロースターの個性と自分の味覚が合致するかは、ほとんど運の世界です。
様々なロースターのコーヒーを“飲み比べ”しなければ、理想のコーヒーには出会えないものです。
コーヒー好きが本当においしいコーヒーと出会えない理由
しかし、コーヒーを飲み比べるには大変な労力と時間とお金がかかります。
例えば、4つのお店を飲み比べる場合、こんなハードルがあります。
- 人気のお店は遠くて行けない
- 豆の単位が最小200グラム~で気に入らなくても飲み切るまで時間がかかってしまう
- 通販をすると、送料が注文回数分かかってしまいお金がバカにならない
(例:送料500円×4=2000円→もう300グラム買えちゃうじゃん!)
⇒時間もお金もかかるので、失敗したくない!
⇒飲み比べはリスキーだわ!!
⇒やめておこう…近場でいいや…。
色々な店を飲み比べるには、コーヒーというものそのものの「サンクコスト」が高すぎるんですね。
ロースター横断型コーヒーセレクトショップでできること
このショップではそんなコーヒー好きの悩みを解消すべく、
様々なロースターで焙煎されたコーヒー豆を、店長(私)が一生懸命買い付けて、飲みきりサイズの小パックにアレンジしてお届けします。
一度に複数のロースターのコーヒー豆にトライできるので抜群にオトクです。
注文が入れば、私店長ツトムが泣きながら買い付けてパッキングするので、是非一度お試しください!
是非、あなた好みの一杯に出会ってください!
ちなみに、全国のあらゆるロースターのコーヒー豆を、入手可能な限り取り扱い可能ですので、リクエストいただければ、ショップでの取り扱いや既存パッケージの内容変更も可能ですよ。
BRUTUS特別編集 もっとおいしいコーヒーの進化論。 (マガジンハウスムック)
- 作者: マガジンハウス
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8.6秒バズーカーのはまやねんはピンで切り出した方がいい説
禁断のリズムネタ「ラッスンゴレライ」でブレイク中の8.6秒バズーカー。
最近バラエティー番組などでもかなり見かけることが多くなった彼ら。
その「ラッスンゴレライ」を言う小太りの方こと、はまやねん君。
正直バラエティー番組でうまく立ち回れているかといわれると少々疑問の残る彼らですが、このはまやねん君はちょっと生き残る兆しが見えたような気がしています。
それは、彼の持つ「究極の普通さ」です。
それを今日は解説してみたいと思います。
芸人が一発屋化して消えていく仕組み
まずは、リズムネタや強烈なキャラで注目された芸人が一発屋化し、消えていく仕組みから考えみます。
そもそも一発屋的なブレイクというのは、ネタ番組などの短時間で強烈なインパクトを残せるような特異なキャラクターを持っていることが多いわけです。そして、その多くはボケだったりギャグだったり瞬間で笑いを取ることに特化した芸風を持っているのです。
その特異なキャラクターとネタで瞬間の笑いを取ってきた芸人は、その強烈なキャラゆえ、平場のトークの場においてもさぞ強烈なボケをするのだろうと期待されてしまいます。すると、MCから「ボケ」を強要される羽目になるのです。
私は、この期待や先入観が芸人をスベらせ、潰していくのだろうと思っているのです。
「おいしいフリ」という名の凶器
例えば、ゲストを迎えてトークをする番組で、一緒に出演したモデルさんはウケを取ったり、自然にトークに混じっていけているのに、若手芸人は、何故か場になじめず、振られてはスベリ倒すような場面を目にすることはありませんか?
これは、決してその芸人が面白くないことを言ったからではありません。MCが、モデルさんと芸人とで対応を分けているからなのです。
MCがモデルさんと相対するとき、所詮はトークについては素人ですから、基本的には面白いことは何も言わない前提で対応します。なので、ちょっとしたエピソードやプロフィールの一部などを強引に掘り下げて、笑いが足りなければMC自ら笑い、マッチポンプ的に笑いを作っていくのです。
しかし、若手芸人に対しては、ボケを繰り出すものという先入観や、その強烈なキャラが醸し出す期待感から、実力以上の振られ方をされがちです。いわば、「おいしいフリ」という名のボケの強要です。本人たちのエピソードトークもそこそこに、さあボケろとばかりに持ちネタに繋がるような強引なフリが繰り出されます。
例:スギちゃんに対して
「スギちゃんはワイルドだからこんなことせえへんやろ?(ボケろよ)」
こういう見え見えのフリで振られて、狙い感丸出しでボケれば、視聴者も観覧者も共演者もあらかた予想できてしまうわけですから、当然クソベりますよね。
かといって、ボケなければMCの期待に応えられないというわけで、それもそれでスベるわけです。期待値の高すぎるフリは、もはやおいしいフリどころか危険球です。野球に例えれば急に160キロのボールを投げられ「得意なコースだろ?ホームランしろよ」といわれているようなものです。そもそも得意なコースじゃないし、ホームランにする力もないのです。そう、ネタとして笑いを取ることはできても、平場で笑いが取れるかどうかは全くの別問題なのです。
はまやねん君が見出した「ほぼ一般人」キャラ
その点、はまやねん君は、最近の数多くのバラエティ出演を経て、今までに無かったキャラクターを見出しつつあります。
それは、「ほぼ一般人」というキャラクターです。
「芸人さんと絡めて楽しいです」
「ごはん好きなんでww」
など、一切ボケず、普通の人の普通の感覚を持ったまま芸人になってしまったようなはまやねんのキャラクターは、常時ボケを要求されてきた今までのポッと出芸人のスタンスとは180度異なる、逆に異質の存在感です。
そして、この「ほぼ一般人」というキャラクターはもう一つおいしい特徴があります。
それは、上で例に挙げたトーク番組などで、モデルさんなどのボケを要求されない側に回ることができるという点です。
基本的に突飛なボケをすることなく、前へ前へと暑苦しく出ることも無いが、いじればそれなりに味が出てくる。掘り進んで何も出なくても、それでも「芸人枠」というレッテルから「芸人なのに普通」というギャップの笑いを誘います。
MCにさえうまくはまれば十分にテレビで生きていける感じがしますね。
どちらかと言えば、アメートークやロンハーなどのゴリゴリの芸人の集まりより、パネラーとして参加するようなリアルスコープハイパーやザ・県民ショーのような番組の方が向いていそうな気がするのです。
本人を始め、吉本興業の皆様、是非ご一考のほど。