働きたくないブログ

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VALUって「無名なバンドマンのサイン色紙」みたいなものだよね

VALUって、何かに似てると思ったんですけど、
「無名バンドマンのサイン色紙」みたいなものなんじゃないかなと。

全然食えてない無名のバンドマンが、あまりにもお金が無いんで

「俺はいずれビッグになるけど、今は金が無いから、俺のサインを一万円で買ってくれ」

って売りつけてくるみたいな。

「絶対に値上がりするし、俺と付き合っておくと後々自慢できるぜ」みたいな。

VALUとバンドマンのサイン色紙の共通点
  • 現状は全くの無価値
  • 何の見返りやリターンも発生しない
  • お金の利用用途は不明
  • たぶん値上がりしない

その人のVALU(サイン色紙)を所持していることそのものに価値を見出しているのなら、勝手にお金出して買えばいいと思いますけど、資産的な価値を見出そうとしているならはっきり言って金はドブに捨てたようなものなんで、一刻も早く回収に動いた方がいいと思います。

ついでに言えば、サイン色紙は最悪の場合、裏紙とかコースターとして使えるかもしれないけど、VALUは何にも転用できないんで、換金できるうちが華だと思ったほうがよろしいかと。

VALU攻略の極意

VALU攻略の極意

 

 

名乗るだけで「プロ」になれる職業になりたがる人たち

プロゴルファー猿(藤子不二雄劇場)

"プロ"ブロガーという人たちの生態が面白いなーと思ってちょくちょく見てたんですけどね。

ついに来るところまで来たなと思うのがこのブログなんですけど、プロブロガー(笑)業界では色々炎上案件をリリースして有名人らしい「みやもさん」という方。

この方が色々人生に悩んだ結果、ラッパーになるらしいですよ。

www.miyahaya.com

 

名乗るだけでなれる職業に俺はなる!

プロブロガー界隈をヲチしてる時も思ってたんですけど、この人たちが「なりたい!」っていうものって、名乗るだけで簡単になれるモノばっかりじゃないですか?

プロブロガーしかり。ラッパーしかり。Youtuberしかり。

どれもこれも、小学生でも名乗ればなれるものばかり。 

ブログで「プロ○○」になります!って言ってる人の言動や、そのチョイスを見てると、結局、個性の面において突出した何かや他者に認めてもらえるだけの努力やら何らかの成果を生み出せなかった人が、それでも何か言いたいっていうことで手近なものに飛びついたって感じが伝わってくるんですよ。

偉くなりたいとか、誰かに認められて褒められたいって言う気持ちは誰にでもあると思います。その「凡人だけど何かになりたい」っていう気持ちが、「人に認めてもらえる人間になろう」っていう努力の方向に向かって、努力の結果として肩書きがついてくるって言うのならわかるし、心から応援できるんです。 

でも、何者でも無い人が何かになるために、努力も経験も試験もいらなくて名乗ればなれる「プロ○○」っていうものに飛びつくのは、全く応援できないんですよ。
そんな手っ取り早く流行りの肩書きだけ欲しいみたいなやつ応援できます?

で、そういう人たちに限って、「社畜www東京で消耗www」とか言うんですよね。
でもね、プロブロガーたちがバカにするサラリーマンにだって尊敬すべき人間はいるし、本物のプロだっているんですよ。

ちょっと前にガイアの夜明けに出てた、スーパー公務員とか商社の人とかもすごいし、カンブリア宮殿に出てくる小さいスーパーの名も無きバイヤーとか、ボス潜入シリーズに出てくるバイトのおばちゃんだって、ものすごい誇りをもって仕事をしてるじゃないですか。しかもそれで金を稼いでるじゃないですか。ああいう人も立派なプロフェッショナルなわけですよ。

まずは価値を提供して、ちゃんと他人に評価されてから自称しませんか?

名乗ればなれる肩書きを名乗ってプロを自称し、日々、炎上狙いのブログ投稿をしている人たちは、まずは無駄に虚勢を張るのをやめて、等身大になることからはじめましょうよ。

手近なプロを名乗るのは、実は辛い努力や下積みから逃げてるだけなのに、「自分はチャレンジャーだ」とか自分自身に言い聞かせて正当化しているに過ぎないんだということを、まずは認めたほうがいいと思うんですよね。 

お金を稼ぐっていうのは、価値とのお金を等価交換することです。
自分の仕事や作ったものが評価されて値段がついて、等しいだけのお金と交換される。
結果、社会に何か貢献するっていうのが稼ぐということじゃないですかね。

炎上しそうなタイトルつけて、仲間内でSNS拡散して、ブクマしあって、PV上げて何万アクセス行きましたとか、情弱が食いつきそうなエロネタやサムネイルで動画クリックさせて何万再生行きましたっていうのは、何か価値を提供してるんでしょうか?

ラッパーになって、人の心を打って、それで評価されてファンがついてお金がもらえるなら、それは立派なものです。
実際に、それで武道館を埋められる人もいます。

でも、「ラッパーって、フリースタイルダンジョンとかで流行ってるし、カッコイイ。しかも資格も要らないから、今日から俺ラッパーです。よろしく」って言われても。

とりあえず、何でもかんでも自称からはじめないで、まずは他人から「ヤツはラッパーだ」って言われるようになったり、身内じゃない客からちゃんと評価されて100円でもおひねりをもらってからにしませんか?

そんなこんな。

子育て中の妻は何故すぐにいっぱいいっぱいになってキレるのか

あたし・主婦の頭の中

妻はすぐテンパる。そして、すぐキレる。

いったい何故なのか。

妻曰く、「私は体も小さく体力も無い。そのくせ子供が元気すぎてついていけない」とのことだ。

確かに、そういう要素もあるだろう。
だが、それだけではないと思う。

私から見て、目の前のタスクの整理が出来ていないのではないかと思う瞬間が多数散見するのだ。

頑張っているからといって、人を不愉快にさせて良いことにはならない

私から見て、妻は頑張りすぎだ。

1歳の子供の世話の大変さは、想像を超えるものがある。常に目を離すことが出来ないし、甘え期を迎えた我が子はゆっくりトイレで用を足すことすら許してくれない。そんな我が子をここまで大きなトラブルも無く育ててこれているのは、妻の不断の努力なくしてはありえないことだ。

さらに、我が子の発育のために公園にも定期的に行かせなければならないし、私の夕食や大量の洗濯物などのタスクも毎日のように処理している。

その大変さと、体力の消耗は理解しているし、私が手伝えるところは極力手伝うようにしている。

しかし、よくよく見てみると「それ今やる必要ある?」と思うようなタスクを、不愉快全開で「大変だ大変だ」といいながら処理し、たまに私に八つ当たりをしながらこなしているのだ。それを見ると、結局自分を追い込んでいるのは自分なのでは?という思いにも駆られる。

そして、彼女に「それは今日やらなくてもいいんじゃないか?」という趣旨のことを伝えると、「私は気になったらやらないと気がすまない性格で、やらないとストレスになる」のだといい不機嫌な眼差しを向けるのだ。

そういう彼女の性格は長い付き合いなので理解しているが、それは子供や周囲の人間に当り散らして不愉快な思いを押し付けて良い理由にはならない。それで周囲に迷惑や不愉快な思いをさせてしまっているのなら、その性格は少しずつでも矯正すべきだと思う。

「頑張る」ということの意味を考える

「家事という仕事は年収に換算すると○○万円に相当する業務に匹敵して、さらに土日休みも無く大変なんだ」という人がいる。

家事を仕事に例えることは確かにある一面で正しい。家事には仕事に必要な要素が詰まっている。

しかし、その業務量と貢献度には敬意と感謝をした上で、それを「仕事」「業務」と定義するのであれば、業務を構成するタスクを適切に切り分け、管理し、ストレス無くスムーズに進行できるよう優先度や仕組みを整備するのも仕事のうちなのではないだろうか。

何が今やるべきことで、何は今やらなくて良いことなのか。
やらなくて良いことを判断して明日に回すだけでも、もう少し心の平安が得られるのではないかと思う。

頑張るというのは、長時間休み無く働くことや、目の前のタスクに盲目的に取り組むことではない。求められる結果に向かって正しいアプローチをしていない努力は自己満足になってしまう。

家事は1年や2年の短期プロジェクトではなく、生活し生きている以上続いていく長期プロジェクトなのだから、求められる結果というのは「円滑性」と「継続性」のはずだ。

「円滑性」と「継続性」を得るために、「今やらない」という判断をする勇気と割り切りが必要なんだと思っている。

 

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得する家事 家事えもんと仲間たち「みんな得する家事ワザ」大全集

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